第1期 太子堂の建築
現在浄向寺では書院及び本堂西側の離れ座敷の工事に着工しております。
近隣の方々には騒音・ほこりや交通の渋滞や工事車両の駐車などで大きなご迷惑をお掛け致しておりますことをお詫び申し上げます。
この書院の再建計画は、今年(平成26年)初夏に7回忌を迎え、故人となった坊守・西原幸がまだ元気なころからの懸案事項でした。故坊守は事あるごとに、現住職に「今の庫裏では法要の時には手狭だし、間取りの点でも段差などが多くて生活がしにくいので、早く庫裏を建て直してほしい。頑張って良い庫裏を建ててほしい」と言っておりました。
それから数年が経過しました。その間前坊守・西原幸の往生と三年前の平成23年には前住職・西原文興の入院や往生もありました。また私が龍谷大学の大学院で研究に時間を掛けてしまった為に、非常に計画が遅れてしまいました。加えて境内地の境界線明示の問題では南側隣家との見解相違で折合がつかずに無駄な時間をかけてしまいました。
あるいは建築資金の面でも、住職個人の貯蓄では到底間に合わず、借り入れの問題でも時間を要しました。様々な問題がある中で、住職の友人であり宮大工である岐阜の高崎勝則氏が、住職の折れかけた志を何度も支えて下さり、ようやく現在の着工にこぎつけたのであります。

今回の工事は言わば前坊守の遺言であると肝に銘じて、万難を排して実行する所存です。
仏祖の加護のもと無事に完成できることを念じたいと思います。

〈建設業者の紹介>
唐箕屋社寺工務店
(岐阜市金園町)
棟梁・代表取締役 高崎勝則
高崎氏は現在の浄向寺山門を建築してくださった棟梁です。
そのご縁以来、浄向寺の法要行事にも度々ご参詣し聴聞して下さっており、住職とも仲良くしていただいております。
昭和56年に、法隆寺・薬師寺大工・西岡常一の唯一人の弟子である・小川三夫氏がおこした「鵤工舎」に修行に入りお弟子となられました。
富山県の国泰寺三重塔・奈良県の薬師寺玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)ほか奈良県桜井市、兵庫県、愛知県など各地の寺院建築に携わって来られました。 |

◯平成25年(2013)11月22日
ご近所に工事のお知らせ・ご挨拶まわりをしました。 同時に現存のプレハブ部分の電気・水道の移築をして、本格的な解体に備えます。
◯平成25年(2013)11月25日
「離れプレハブ解体スタート!」
いよいよ解体作業が始まりました。
山門南側の道路が狭小なため、大きなトラックが進入できません。作業効率を考えて、北側の塀を一部解体して、北側道路より解体部品などを搬出するようになりました。
山門横に仮設トイレ設置。
大きな重機(ユンボなど)が入らないので、解体はすべて手作業で行われました。たまに穴開けのコンプレッサーを使用すると、騒音が気になりご近所に迷惑にはならないかと心配したものです。
◯11月30日
本日で解体工事終了。

◯12月10日「基礎工事始動!」
基礎工事は山本工業(代表・山本利夫氏)にお願いしました。基本に忠実で丁寧に施工してくださいました。山本氏の悩みは「若い人が育たない、辛抱がないから・・・。もう少しで一人前の職人になるのに、途中でやめてしまうのが残念。」と仰います。
◯12月21日 基礎・転圧状況
◯12月23日 防湿シートはり。
(二重にしました)
◯12月24日 配筋作業開始!
本日は配筋段取り
◯12月27日 鉄筋組工
◯12月28日 生コン入れ。
年内の作業は本日までで終了


◯平成26年(2014)1月6日 本年の工事スタート
基石(柱石)搬入。7寸角石 10石。4寸5分角石 12石。それぞれの石の上に檜の角柱が乗ります。高崎氏と離れと本堂の部分の連絡について打合せを行いました。
◯1月9日 基石敷き

◯1月15日 基礎工事業者、北側の塀を積みなおす際の基礎を作成。
◯1月29日
境内・親鸞聖人像を移転

本格的な庫裏普請に備えて一時的に境内から、横山石材(東大阪市南荘町)で預かっていただきます。
一時的に疎開をされるわけです。すべて完成した時点で、再びお戻りになり、境内の境内東側の「多羅葉」の木の下辺りで境内をご覧になります。

◯3月24日 基礎石工事、幅石設置

◯4月5日 本堂内に部材の一部を搬入

お寺全体が檜の大変いい香りに包まれています。
同時に、柱石にステンレス製ピンを設置。この上に七寸角の柱が立ちます。


建築用材が搬入されてくると、一気に建築の雰囲気が盛り上がってきました。
軒先に使う勾配のついた材木などは特に印象的で、一般住宅の普請ではまず見られないものであろうと思います。
今回の普請では、「寺院の建築とはこのようなものである」というメッセージ性の強いものにしようということで、棟梁の高崎氏が設計をして下さったのです。
◯4月15日
足場組立①とレッカー車配置段取り①
ようやく足場の組立が始まりました。来てくれている大工さんは5名。皆まだまだ青年層の方ばかりで非常に頭のよさそうな人ばかりです。技術者という感じです。 今日は足場の一部をくみたてました。また本堂内に部材の一部分がさらに搬入されました。

新築工事で頭を悩ませてくれるのは、北側の道が大変狭いのですが、その割に交通量が非常に多いということです。特に2・3年前から自家用車の交通量が増え続けています。何か抜け道にでもなっているのでしょうか。
そのためにレッカー車を据え付けての作業が極めて困難ということで、道路を通行止めの申請をしようかという案もあり、実際市役所や枚岡警察署に相談に行ってもらいましたが、これも付近の住民の承諾などを取り付けてからの、交付ということなので、面倒なことになります。
そこで西隣のマンションの駐車スペースを一部かりてという案が有力で、マンションの管理者の方と談判します。上手くいきますやら・・・。
◯4月17日
足場②とレッカー設置場所段取り②
レッカー車の設置場所を、西隣のアパート「立花ハイツ」の一角にお願いに伺ったところ、管理人さん曰く「レッカー者のような重量の重い物を置かれると、地面がどうなるか責任を持てないので、お断りする」との返事でした。
これで困っていたところ、北側道路沿いで「室内装飾全般」を事業されている会社の社長さんが「こんなことはお互い様のことです。どうぞうちの駐車スペースにレッカーを設置して作業をしてください。」とご了解いただきました。
これでレッカー車の設置場所も決まりました。
また大工さんたちが建築用材(柱や梁など)を運搬するために岐阜から乗車してきたトラック数台は、浄向寺の前総代さんの北井正浩氏の駐車場に、駐車させていただくことになりました。事前にご挨拶にお伺いさせていただくと、奥様が「住職さんご苦労様ですけど、頑張って普請してください。お寺が綺麗になるのは私らも嬉しいことだから。」と暖かい言葉をかけて下さいました。
いよいよ19日・20日の2日間で建前を行う予定です。
◯4月19日 建前開始
1日目

本日よりレッカー車を用いて、建前が開始されました。
木造の建物にわざわざレッカーなどを使うのか、と内心大袈裟な感じを持っておりましたが、実際立ち会ってみてナルホドと納得したものです。
柱一本と言っても檜の七寸柱です。これ一本でも相当の重量があるのですが、その柱を数本組み立てた状態で、持ち上げて柱石に立てていくのですから、人の手では到底持ちこたえられるものではありません。
また時間的効率からいっても、重機を使用した方がずっと早いと言えるでしょう。昔の人はこのような大きな柱でも手作業で立てていったのだと思うと、感心させられます。おそらく人件費は限りなく安い時代だったでしょうか。
本日の終了時にはすでに枠組み程度は完成していました。
高崎棟梁は、現代の日本家屋の柱は余りにも細すぎると主張されています。せいぜい4寸くらい、細い物なら3寸か3寸5分です。これでは家が持たないと言います。
今回の「太子堂」の柱は、7寸柱を14本使っています。


◯4月20日 建前2日目
2日目はあいにく朝から雨模様。あまり木材を濡らしたくありません。シートを掛けたりはずしたりしながらの作業となりました。しかし午後2時ころにはレッカーは断念して、また仕切り直しで明日以降となりました。残念!お天気には勝てません。22日には上棟式を予定しています。

◯4月22日 上棟式

本堂にて午後4時半に「上棟式」を執り行いなした。
本来は多くの関係者に参列していただいて、「餅まき」などの行事を行うべきところですが、なにぶん第一期工事のことですので、今回は簡略化しました。
勤行は「仏説阿弥陀経」をお勤めし、お焼香していただきました。その後「お非時」をお出しいたしました。
この建築は、当初のタイムスケジュールより大幅に遅れております。これは棟梁のほうで、材料を厳しく吟味していただいていることと、その木材を手間をかけて製材してくださっているためです。後世に残るような、出来るだけよい建築にという気持ちから、慎重になっているのです。
また今日から仕事の効率を考えて、大工さんの駐車場を、お寺のすぐ近くの屋根付きスペースに変更しました。

(勤行する住職)
◯4月23日 建前3日目

レッカー車を使用しての建前の最終日です。やはり本格的な木材を使用する工事ではレッカーが一番です。
屋根の姿があらわれました。
◯4月24日 建前4日目

北側の道路から見るとこうなっています。
破風のところに懸魚が付きました。
また今日は親戚寺院の西法寺のご門徒さんが、お経の練習などに来られる予定になっておりましたが、本堂は木材や大工道具が入っている為に使用できませんので、東側庫裏の座敷で実施しました。
◯4月25日 建前5日目
大工さんが気を遣ってか、かなり早いペースで仕事をして下さっております。最近はお会いする人ごとに、「お寺はえらいきれいな建物が建っていますな」と言われます。「次は本堂ですな」と言われますが、まだまだ道程は遠い事です。

「太子堂」ということですが、聖徳太子さまを安置する目的のほかにも、法要や行事・集会の際に、僧侶が装束を着替えたり、法話のお客僧の控室になったりといった座敷です。普段は西原住職の書斎(研究の場)となるものです。厳粛さがある空間にしたいと思うのです。
◯4月26日 建前6日目
屋根まで木工事が終了しました。この後は床の板張り・壁面の漆喰・瓦ふきですが、連休に入りましたので、しばらくは中休みになります。

(内部の木造構造)
◯5月4日 棟札墨書

棟梁からお預かりしていた「棟札」をようやく墨書しました。離れと言えども、棟が上がった以上は、1つの建物ですので、棟札を取付けます。
上棟式前後は、住職が布教に出ていたり、近隣の寺院の永代経法要に出勤したり致しておりましたので、なかなか落ち着いた時間がとれずに本日ようやく「棟札」が完成いたしました。


◯5月13日~16日
壁面調整・壁下地造り・部材搬入など
この4日間は大変根気が必要な地味な作業をしました。
漆喰を塗る前の壁面造りや窓枠部分の調整作業は地味な仕事ですが、完成後に実際に使用する中で最も不都合がおこりやすい個所ですので、この度の作業は非常に重要な仕事といえます。同時にオシャレな花頭窓(火燈窓)が搬入されてきました。


◯5月20日~24日
屋根工事 前半

20日からようやく瓦葺きの工事が始まりました。
1999年に当院山門の屋根を葺いて下さった京都山科の葺師さんです。今回は以前にお世話になった葺師の弟さんが、若い衆2人を連れて来て下さっております。
寺院の建造物ですので、屋根は本瓦葺きにしています。
24日までで前期といいましょうか、一応丸瓦がのりました。
ここからは地固めの為に、3・4日の期間を置くということです。そうすると乗せた瓦がより良く固まるとのことでした。
◯5月29日~6月4日
離れの屋根工事 後半
今回の建築でも使用する瓦は、前回も山門の瓦と同様に、美濃の瓦です。
大変高温で焼かれているため、固い丈夫な瓦です。瓦を切ったりして細工をするときに電動のカッターを使うのですが、歯車から火花が出ていてもなかなか切断することが出来ない程強度のある瓦を使ってくれています。職人さん泣かせの瓦と言えるでしょう。瓦の質によっては、カッターナイフ程度の道具で容易く切ることが出来るのですが、この瓦はそうはいきません。
また要所に使用している銅線も酸性雨に強い線ということで、長持ちするそうです。


【兼松製瓦工業・美濃耐寒いぶし瓦】
岐阜県加茂郡坂祝町黒岩1387-9
TEL:0574-26-7605
美濃耐寒いぶし瓦は、高熱で長時間焼成するため、高品質で四季折々の気候変化に強いのが特徴。美濃地方の水田の下に何万年も眠り続けた耐火度の高い良質の粘土を精選して使用しているからこそ作ることができます。耐寒性にも大変優れているので、北は青森県から南は九州に至るまで幅広く全国の社寺仏閣・城などに使用されています。(兼松製瓦工業のホームページより)
【美濃耐寒いぶし瓦ができるまで】
一塊の粘土から美しい「いぶし瓦」ができるまでの工程で、まず初めにすることは原料となる土を厳選することです。粘土を掘ってから約2年間山積みにし、風雨にさらし自然分解させ、原料となる土を多種類混合することによって、質の良い粘土を作り出します。この粘土を混練機にかけ、次にロールクラッシャーにかけて配合し、水分調整を行ったうえシートなどを覆って水分の均一を図ります。そして再度混練機にかけ、それを真空土練機にかけ荒地を出し高圧成形プレス機により成形。1~2日後に手磨きして仕上げ、窯の熱を利用し1週間乾燥させます。その後、乾燥した素地を窯入れします。序々に温度を上げながら36時間かけて焙り、1,180℃のガス高熱焼成でじっくり焼きしめます。このガス焼成窯はこれまでの土窯と異なり、温度のムラはなく、焼きしまりが完全で、キメ細かく強度に優れた瓦を焼くことができます。
火をとめて2日間、300℃くらいのところで窯出しをします。焼き上がった瓦は、厳しい検査・選別を経て出荷されます。
◯5月31日 今日、鬼瓦が乗りました◯6月4日 ついに屋根工事完了!

◯6月7日 防水シートはり
少しの間、壁面の左官工事(壁塗り)が業者の日程により出来ませんので、とりあえず新建ちの柱などを雨から守るために、防水のためにシートを掛けました。
◯6月30日 左官工事 すずめ口部分の漆喰塗り
◯7月11日 雨樋 設置工事
本日雨樋がつきました。外部は銅製で、内部は腐食しにくいステンレス製になっております。


<これからしばらくの間は、岐阜の工房での木作業になります。現場の浄向寺での作業は一旦休憩となります。お会いするご門徒さんからは、長い間仕事をしていませんなァ!と言われますが、「まあそのうち始まりますから、見ていて下さい。いいものが出来ますので。」と住職弁。
しかしホンマになかなか始まらないなァと、しびれを切らせたのでした。

◯10月7日 足場の最上部取り外し
◯11月17日 トイレ段取り。横山石材(木下氏)と打合せ。
◯11月18日 仮設トイレ汲取り(東大阪市より)
◯12月4日~11日 基石はかま設置。トイレ・本堂との繋ぎ部分の用材搬入
◯12月12日 トイレ部分柱建て。電気設備(エイデン)打合せ
◯12月13日~23日
本堂との接合部分の構造完成
◯12月24日 電気配線(エイデン)
◯12月25日 天井板はり
◯12月27日 本年の仕事納め

◯2015年1月9日
本日より瓦屋根工事
本年の仕事が始まりました。しばらくは屋根工事になります。葺師は、京都山科の「匠平安瓦」さんです。2人で来て下さっております。
◯1月19日~21日 3日間は大工・瓦葺き・板金職人さんの3社が、同時進行で仕事をします。
板金は木部のうち、特に水にぬれやすい個所を事前に銅板で、補強をしておくというものです。
板金屋さんは、北原さんとおっしゃる方で、岐阜県の中津川市から来ていただいております。仕事が早くてしかも、美しいということです。雨樋を設置してくれた業者です。
◯1月26日
石屋。庫裏玄関前の五葉の松及びその石組み解体。
これは将来的に母屋の解体・再建工事に入った時に、玄関前の五葉の松が障害になるのを見越して、早々と石組みを解体しました。玄関前が下の写真のようにスッキリと広くなりなした。解体した石は工事完成後に、また親鸞聖人像の石組みに使いますので、それまでは境内に寝かしてあります。
この五葉の松は、大変立派なものでしたので、門徒さん宅に貰っていただければ幸いと、皆さんにお声をかけさせていただきましたが、とうとう貰い手がつかずに処分するということになってしまいました。
◯1月31日 瓦葺き終了。
◯2月3日~6日 一旦大工仕事は終了。
残りは設備関係(トイレ便器類・流し・ガス工事)と壁の漆喰塗りです。
◯2月17日~20日 壁面左官工事

いよいよ壁面の左官工事がスタート。
下地造りから下塗りと仕事が進んでいき、20日には一旦下地終了。
乾燥させるため10日間ほど、時間をあけます。
大変きれいな出来だと思います。仕事の様子を見ていても、ざっとコテを動かしているようにしか見えないのですが、塗り終わってみれば真に見事な出来栄えで「さすがプロ!」ということでしょうか。
今回の普請では、施工に来てくれる業者・職人さんはすべて、自分の仕事に対して一家言のある人ばかり。お茶を出すときに雑談をしていても、その世界の話を様々に聞くことが出来て、大変勉強になりました。左官業者さんは、岐阜県関市の天池さんです。
◯3月4日~7日
乾燥させていた下地が、安定してきましたので、本日より漆喰の上塗り開始。
また3月6日にはトイレ部分の雨樋がつきました。
◯3月12日~14日
漆喰。トイレ前の通路の洗い出し工事。
◯3月20日
トイレが使用できるようになりました。
長い期間にわたって本堂のトイレが使用できませんでしたが、21日の「彼岸会法要」を明日にひかえて、ようやくトイレが使えるようになりました。
今までの工事期間は、庫裏の一番奥にあるトイレをいちいち使ってもらうようにしておりましたが、これで一段落しました。ご門徒の方には長らくご迷惑をお掛けしました。
◯3月24日~26日
引続き、漆喰工事。
◯4月1日~4日
これでようやく離れ部分の左官工事は終了となりました。
これで残りは、建具類・畳・厨房設備を残すのみとなりました。
来る4月26日には、この新築部分で、枚岡仏教会「十和会」を開催しようと計画しておりますので、早期の完成が待たれます。
◯4月8日~10日 建具取り付け

◯4月16日 畳が入りました。また同時に流し台や照明器具も取り付けられました。
◯4月24日 太子堂の完成
平成25年11月25日解体作業に入って以来、
慎重に建築を進めてきましたが、本日ようやく完成を迎えました。
しかしこれは全体の建築からみて、まだまだ導入部分と言って良いほどの工事であります。
第2期工事は、本堂の裏堂のリホーム工事で、第3期がいよいよ書院本体の普請ということ。
最後に第4期として、本堂と庫裏母屋の接合部分に、中庭や婦人会の台所をつくり、西原家の北玄関口を設けておきたいと考えております。また第5期は、主に北側の擁壁を作り直し、境内地の白洲を整備して、いよいよ親鸞聖人像が疎開先から戻ってこられます。

工事再開次第、また改めて実況します。
◯4月26日
東大阪市仏教会・十和会開催
新しく出来た太子堂でさっそく仏教会を開催しました。
◯5月14日
婦人部定例会実施
お経の練習後、新しく出来た太子堂で手作り赤飯を頂きました。
第2期 裏堂のリホーム工事
平成28年(2016)1月22日(金)から本堂裏の納戸と和室一間のリホーム工事が始まりました。
もともと納戸は、本堂内の什物を保管するために使用しておりましたが、近年屋根瓦の崩壊が激しく、北側の市道に軒丸瓦が落下するなどして、危険な状態にありましたので、屋根替えも兼ねての工事になります。また和室は、住職一家・西原家のお内仏が安置されている部屋です。
同時に、いよいよ浄向寺庫裏母屋の解体も、平成27年10月26日から始まっております。
◯1月22日 裏堂工事開始①

1月27日には、コンクリート壁面の解体作業。内陣も霧のようなコンクリートの粉塵で、真っ白になりました。もちろん工事はビニールのシートで十分に養生をしていただいたのですが・・・致し方ありませんね。
今回の工事では、従来の床面が、本堂の内陣のレベルからすると、一段低かったのですが、今回のリホームではその低い床面を一段かさ上げして(30㎝i以上)、本堂内陣とフラットな位置関係にしていただいたことに特徴があります。

◯2月20日

かなり部屋らしくなってきました。
今回の工事では、一旦は納戸のみを完成させて、隣の和室部分は、庫裏本体が完成した時点で、和室部分と庫裏本体を接続する計画ですから、逆に和室は一番最後に完成する箇所になってくるのです。
◯3月11日 裏堂工事㊲
ほぼ完成になりました。
後は畳が入れば終了です。
また建具類は、岐阜の工房であらかた作ってきて、現地で(本堂前で)微調整されました。


この建具は全く名人の技です。上品で精密で美的で狂いがありません。
15年前に作成された浄向寺山門脇の小口などでも、毎日の開け閉めを繰り返しているのに、全く狂いがありません。雨が多く湿気が多い時には、少し檜が膨張して、指一本分力を加えて開閉しますが、逆に晴天が続いて湿度が低い時には、力が必要なくシッカリと閉まります。まことに絶妙なまさに職人技の逸品です。唐箕屋社寺工務店で長い間、建具関係を主に仕事をされてきた藤元一美氏の作です。

◯3月9日~17日 左官工事①~④
左官工事は余り多くはありません。岐阜郊外の関市の天池さんにお世話になりました。
太子堂の時にも美しい仕上げをしていただきました。


◯3月15日~19日 裏堂屋根工事①~⑤
屋根工事も岐阜から来てくれました。一人で仕事をしますが、仕事の手が早い人です。
これも職人技です。田島典大氏です。


◯5月24日 雲花頭の引き戸

離れ出入口の引戸が完成いたしました。
大変美しいデザインの戸がつきました。
第3期
浄向寺庫裏母屋の建築

お待たせしました!いよいよ浄向寺庫裏母屋の再建工事に入ります。
今回のメインの大普請になります。
◯2015年10月24日
解体工事の打合せ。ご近所廻りにご挨拶。
前日まで浄向寺は報恩講法要が勤まっておりましたので、動きが取れませんでした。
法要が終了次第に、工事にかかろうとご近所を回って、解体による騒音やほこりが発生することを、
まずご了解を得なければなりません。全てのご家庭で「お互い様ですから。シッカリと工事を進めて下さい。」と温かいお言葉をいただきました。なかには「前住職や坊守さんがおられたら、どんなにか喜んでおられるでしょう。」と父母が庫裏の再建を待ち望んでいたことを、思い浮かべて下さった方もありました。という訳で、このたびの再建には全力を挙げて取り組みます。同時に困難や障害になるものがあれば、全て打ち砕くつもりでおりますし、そのための準備も整っております。
◯2015年10月26日 解体工事初日
〈浄向寺の旧庫裏〉

この旧庫裏は、年代は定かではありませんが、私の祖母がよく口癖のように「この庫裏は明治時代の初めに、当時の150円で建ったのだ」と言っておりましたから、おそらく120年くらい前の建築だと思われます。大変に良い普請だったと思いますのは、それくらい年数が経てもさほど棟が下がったりしていませんでしたし、どっしりとした感じの飽きの来ない造りだったと思います。建設当時はかなり大きな建物だったのだろうと推測しています。
私がまだ小学生時分などでは、内心に「ウチの家はよその家より大きく立派だな。」と思っていたのを思い出します。それが次第に2階建ての家が次々と建てられはじめましたので、逆に我家が前近代的な家のように思えて、他家のようなフローリングのリビングのある家に住んでみたいなと、考えるようにもなったものでした。
思えば寺院の庫裏はどのようであるか?については議論の分かれるところでありましょう。
1つには、寺院の庫裏はその時代時代にマッチした近代的なものであって良いとする考えも否定できないでしょう。また1つにはその世代世代で、そこに居住する人が思い思いの庫裏を建てればよいのだと考えるのも悪くはないでしょう。極論すれば、庫裏などはプレハブ程度で充分だと言い切る人もあります。
私は昨今のお寺の庫裏風景をみるに、まことにあまりにもイージー過ぎるのではと感じております。そこには庫裏に関するコンセプトがあまり感じられないからでしょうか。必要な部屋は何部屋で、コストはこれくらいで・・というように、ただ作業的に建造したかのように思えてならないからです。
良し悪しは別にして、私はその時の自分に出来る限りの最高の普請をしておきたいと考えて、この母屋の普請を寺社専門の大工さんに依頼した訳です。
◯2015年10月26日~11月7日
解体工事①~➉
解体工事と基礎工事は、地元の建設会社である「大幸綜合建設株式会社」(社長:表康之。専務:表孝典)にお願いしました。
この表氏は浄向寺のご門徒ですので特に仕事をしていただいたのです。さらにやはり地元の業者さんを大切にしていきたいという、基本的精神のあらわれでもあります。まだ他にもご門徒の方で、建築業をされておられる方があるということを、住職は承知しておりますが、なにぶん仕事の分量が限られていることですし、またの機会がありますので、その時にはお願いします。

◯2015年11月26日~12月12日 解体工事⑪~⑭
北側の擁壁の撤去。境内地内植生の除去。仮設トイレの設置。

長らく浄向寺境内にあって、住職一家の日常生活の基盤となってくれた庫裏も、重機を使って解体されれば、わずかの日数で跡形もなくなってしまいました。現住職の曽祖父(西原圓隆法師)の時代に建立されて已来、百二十年余風雪に耐えて寺院生活を見守ってくれたことに感謝したいと思います。

本堂の裏堂リホーム工事と並行して、基礎工事が始まります。
庫裏がなくなって 気付いたのですが、北側の道路から南側の境内地を眺めますと、実に広々としています。このまま建物を建てない方が、境内地を多目的に使用できて、かえってよいのではとも感じたことです。まあ、庫裏のない寺院などは、実際上寺院として機能しないのですけれども・・・。
◯2016年2月3日
基礎工事スタート①

◯2016年2月5日~8日
基礎工事③~⑤ 配筋

今回の鉄筋は総量で約3500キロを使用しております。
◯2016年2月9日
生コン注入

生コンは約28立方メートル(リューベというそうです)使用しています。
近年かなり大きめのマンションなどでも、その基礎工事を見ると、簡単な基礎が多いように思います。浄向寺の基礎は「ベタ基礎」というまことに名前だけを聞けば、手抜きしたような語呂の基礎ですが、この鉄筋とコンクリートとの相性は抜群だということです。まず大きな地震が来ても心配することがないようです。広域避難場所に指定されている箇所でも、その避難場所自体が被災してしまうということが考えられますから、寺院などはかなり丈夫に建てておかねばなりません。
なにぶん住職が地震の時に、本堂の阿弥陀如来様を差し置いて逃げたというのでは、話になりませんから。
◯2016年2月11日
コンクリート枠抜き

◯2016年2月29日~3月7日
基礎石工事(海老井石材店)
最後はピンを打って終了です。



16年前の山門建設の時にも、今回の「離れ」の時にも、批判的なことを云う役員さんがあります。
「現在の本堂につろくする(合うような)建物を建てよ」という主張です。
現在の本堂は、戦後間もない、物のない時代に建てられた本堂で、現在の建築基準法にも適合しないような、まことに簡単な本堂なのです。
私はこの本堂を建築された時のご門徒さんのご苦労を思う時、誠にこれを軽視できないと思いますし、尊敬も致しております。しかしそのことと、当時の本堂を全ての建築基準にすることとは異なると考えております。
実際現在の本堂をすべての基準にするならば、これからの浄向寺境内地はまことにみすぼらしい、貧相な寺院になってしまうでしょう。現に本堂をご覧いただければ分かりましょう。
そうならないように、平成12年の山門建立の際に、当時の護寺会役員さんが、「今後はこの山門を基準にして、境内地の建物を建てましょう」ということにされたわけです。
自らの所属寺が美しくなることは、ご門徒にとっても喜ばしいことでありましょう。逆にまだクレームまでつけるなどとは、如何なものかと首を傾げております。他の役員さんと共に顔を見合わせるばかりです。

あの法隆寺宮大工・西岡常一氏に伝わる家訓の中に、「仏法を知らずして堂塔伽藍を論ずべからず」というくだりがあるようです。西岡棟梁の立場ではお寺の普請に携わる者は、信仰心をもって仕事に従事せよということだと思われます。
私はこのくだりを、仏を敬う気持ちのないものはお寺の建築について論じてはいけませんよと読み替えております。
◯2016年4月2日 庫裏建築資材搬入
まじかに迫った建前に先立って、建前に使用する建築材料を、岐阜の唐箕屋社寺工務店の工房より、東大阪市に前もって搬入されました。この倉庫は解体・基礎工事を依頼した「大幸綜合建築」の南荘町の倉庫を借りました。かなり広い倉庫ですが、建築資材で満杯になりました。
ドレダケ材料があるのか!と関係者もびっくり。しかしこの材料がやがては全て使用されるのですから、ほんとに木材の塊りの家になるでしょう。
◯2016年4月5日
建前の準備、木組み。①


レッカー車で吊り上げる前に、事前に木を 組んでおくのです。

◯2016年4月6日
起工式。レッカー車設置。建前②
起工と言えば実はもう既に庫裏解体や基礎工事などが終了していますので、正式には起工とは言えないかもしれません。正しくは「立柱式」かもしれませんが、起工の時には何も儀式をしてませんでしたので、便宜上本日が「起工」と呼んでおきます。
朝10時半。
出席者:住職・高崎勝則・高崎将太朗・田中啓介・松藤悠太・藤元一美・塚本充昭・表孝典・レッカー車運転手の10名。
次第:三奉請・住職焼香・表白・仏説無量寿経(讃仏偈)・住職挨拶・高崎氏お言葉・表氏お言葉




一日でかなり進んだように見えますが、建前はまだまだこれからが本番です。
やはり12トンレッカー車が、柱を次々と吊り上げてくれるので、有難いです。昔の人はこれを人の力で行なっていたのですから、さぞかしご苦労だったでしょう。
◯2016年4月8日 建前③
仕事終了後、立柱のお祝い会食を本堂で行ないました。

◯2016年4月9日~19日 建前④~⑫

どうゆう順序で用材が組み上げられていったのかは分かりませんが、出来ていく柱や梁を見ていると、まさにこの建築は、木を組むというよりは、木を編んでいるように見えます。
また木を編むのには、当然のことながら釘などというものは無用です。
順調に建前が進んでおります。やがて棟が上がると思われます。

このような巨大な棟がレッカー車によって吊り上げられます

◯2016年4月20日 建前⑬

棟木に願文・施主名・設計施工者・棟梁名・大工名などを記入
今回は二階の屋根の棟木に記入する方法をとりました。前回の離れの場合には棟札と言う平面の板に記入して揚げていただきましたが、今回はもっと大きく墨書できる方法をとろうということで、直接棟木に墨書することになりました。

墨書内容:奉上棟 南無阿弥陀佛 (右脇に「當相敬愛 無相憎嫉」。左脇に「言色常和 莫相違戻」)平成二十八年四月二十日 永照山 淨向寺 庫裏新築造営 施主第十五世住職 西原法興
設計施工 岐阜市金園町(有)唐箕屋 社寺工務店 棟梁高崎勝則 高崎将太朗 田中啓介松藤悠太 藤元一美 塚本充昭
◯2016年4月23日
建前⑮ 上棟
本日上棟しました!
上棟式自体は、お寺と大工さんの日程調整の上、5月の連休明けに実施させていただく予定です。また護寺会婦人部でも上棟式を挙行しようと考えていますが、そちらは5月12日(木)午後2時からの予定です。

◯2016年4月24日~5月1日
建前⑯~㉓
大工さんも建前で屋根の防水シート張りが終わるまでは、雨の心配などがあるため、連続して休みなく仕事をして下さっております。せっかくの立派な木材を、雨などで極力濡らさないようにと、配慮してのことなのです。これが終われば、屋根は瓦屋さんが葺きにきてくださる予定です。後は大工仕事は、造作になります。
◯2016年5月2日 建前㉔
本日の朝、仮設の足場を登って、母屋の屋根工事の様子を見せていただきました。地面から見るのと違って、いざ屋根の部分まで登りますと、かなりの高さにビックリ!足がすくむようでしたが、その見事な普請に改めて感動したことでした。

屋根の勾配に沿って、垂木もカーブを描いているように作ってあります。

母屋北側の破風は、入母屋になっているのが分かります。ちなみに南側の本玄関の屋根は、唐破風になります。


屋根四方の軒先は特に時間とともに下がりやすいので、写真のように、特別に大きな木材を入れて天秤の要領で軒先が下がらないように加工してあります。
故西岡常一氏が薬師寺の西塔を建立した時には、やはりこの軒先が下がってくるのを計算して、これから約200年後には、東塔と同じような勾配の屋根になるように建築されているそうです。当時の西洋風の建築学を学んだ建築学者にはとても理解出来なかったと言います。
高崎氏はその西岡常一氏の一門の棟梁になります。

南北の軒先も美しくカーブを描いているのが確認できます。
◯2016年5月3日
建前㉕ 屋根下地・ルーフィング終了
本日で屋根の下地作りが終了致しました。防水のルーフィングシートを張って、とりあえずは瓦屋さんが葺きに来るのを待つだけとなります。今月6日から仕事に来て下さる予定です。

防水のシートを貼りました。

本日時点での浄向寺新庫裏の様子。
◯2016年5月6日

本日より屋根工事が始まりました。
施工業者は、裏堂の屋根でお世話になった岐阜市の田島典大氏です。
いつも一人でお仕事をされています。
何故お一人でお仕事をされるのですか?と尋ねたところ、
「人と一緒にやったこともありますが、人のしている仕事ぶりを見ていられない」のだと言います。
自分だったらもう少しこのようにやると云う意識が働くのだそうです。それならばいっそ一人の方が、思うようにこだわってトコトン仕事が出来ると考えたのだそうです。
キッと自分に自信があるのでしょう。
この浄向寺の仕事の為、お寺の近くのワンルームマンションを借りて生活してくれています。
施工例は、最近では大阪府の滝谷不動尊の仕事をされたそうです。

◯2016年5月6日~13日 屋根工事①~⑧ 屋根の瓦下地造り

今回も屋根は「本瓦葺き」で造っていきます。最近は本瓦葺きの屋根をあまり見なくなりました。
何か簡単に葺いてしまうようですね。近所の一般住宅の建築現場では、朝に瓦屋さんが来ているなと思っていたら、ナントその日の夕方には屋根瓦が完成していたというので、驚きましたが・・・。
どうやって瓦を葺いたんでしょうね?まさか、恐ろしいことになるのでは?は云う例がありましたね。
◯2016年5月12日

本日は護寺会婦人部の皆様とともに、上棟式を行いました。
おりしも第2木曜日の午後2時ということで、婦人部の定例会の日に合わせて行ないました。
一同立派な建築に目を丸くされていました。

散華に使う「華葩」
初めに勤行。正信偈のお勤めの声が本堂や境内に満ちていました。読経中にお焼香とともに、「散華」も行いました。


婦人部からは沢山のご懇志とお供えの品を頂戴いたしました。
次に住職の挨拶。
多くの時間と皆様のご協力のお影をもって、この段階まで進んだ。また庫裏とはいえ境内地内の建築物である。庫裏は念仏生活の根本道場であるとも言われている。今後も皆様のご指導でこの事業を円成してゆきたいと考えていると挨拶しました。

〈挨拶をする住職〉
そして施工業者である宮大工・高崎勝則棟梁のお言葉がありました。
この建築の経緯とコンセプトを述べられた。そのなかで、「一番困ったのが、住職から近隣にない庫裏らしい庫裏を造ってくれと言われたこと。」と言い、最近の寺院の庫裏が安直にハウスメーカーなどによって建築されていることに警鐘をならした。

〈ご挨拶をされる高崎棟梁。唐箕屋社寺工務店社長。〉

さらに茶話会がありました。婦人部会員さまと大工さんを交えての茶話会でした。婦人部は最初はやや緊張気味の様子でしたが・・・。

紅白の常用饅頭をいただきました。婦人部の入江奈良子さんが「お赤飯」を炊いて下さり、また南田雛子さんが「赤飯饅頭」を手作りしてくださいました。
最後に記念撮影。一同喜びのうちに終了しました。

次回の大きな節目は、庫裏母屋の竣工式になろうかと考えています。その後は境内地の擁壁である北側・東側の塀を積みなおす工事と、境内地に現在疎開されている親鸞聖人像をお帰りいただくことと、墓地の水道設備を再構築することが、残されています。それが終わると漸く落ち着いて「落慶法要」を勤めようと思っておりますが、まだまだ先の事でしょうね。
◯2016年5月14日 屋根工事⑨
瓦が乗り始めました

世間でよく言われるのは、屋根の重量が重くなればなるほど、地震などの振動があれば、上部が揺れ動いて倒壊すると考えられるようです。しかしそれは柱などの構造材が脆弱な場合に限ってのことです。今回の普請のように、基礎及び本体が重厚に組み合わされている場合は、屋根の重量がむしろ重くないといけません。
現代の建築基準法で作成された家屋とは比べ物になりません。
もともと倒壊することを念頭に置いて、そうならないための最低基準を設けた、建築基準とは別物になります。
寺院は災害の際の最後の砦にならなければならないと考えています。
災害の時に住職が、寺をあとにして広域避難所に身を置いているようでは話にならないでしょうね。寺とともにご本尊をお守りし、ご門徒の生活を見守るのが住職の仕事でしょう。

◯2016年5月15日~6月17日
屋根工事➉~㊲
順調に進んでおります。田島氏はほとんど休日を取りません。毎日来てくれます。

これは同じように見える瓦でも1枚1枚で、瓦の反りが異なるために、もし仮に無造作に瓦を葺けば、歪な屋根になってしまうのです。そこで瓦の反りを計測しておいて、その反りを瓦に1枚ずつ記入して、使用する時に同様の反りのものを重ねて使ってくと言うことです。
誠に地味な仕事です。5月20日はほぼ1日この仕事にかかっていました。
今回の屋根工事で載る瓦の総重量は、「なんばん」という漆喰も含めれば、約46トンにもなります。

◯2016年6月17日~19日
エレベーター塔建築①~③

今回の庫裏では2階建てですので、エレベーターを設置いたします。何か大変贅沢をしているように考えられがちですが、住職自身が左の膝の調子が思わしくないこともあり、せっかく2階建ての建物なのに、足腰が弱いために2階にまでいけないということも将来考えられます。そこでそのことを想定して建築の際に設置しておこうというのが、今回の意図です。あとで付け足したのでは却って費用がかかるので。

EVの基礎と本堂台所の基礎工事

EV塔の柱は5寸角

EV塔の建前完成

一階から見たEV塔内部
◯2016年6月20日
屋根工事㊵ EV塔葺き

このエレベーター塔は、境内の西側から見れば洵に城郭建築のような優美なもので、人の目を引くことでしょう。
◯2016年6月21日
屋根工事㊶ EV塔葺き
今日も田島氏は淡々と仕事を続けます。

ここで今回の母屋の屋根を葺くにあたって、使用している瓦をご紹介しておきたいと思います。
伏見窯業 株式会社

●所 在 地 :
岐阜県可児郡御嵩町伏見字亀島1903-1
「岐阜美濃焼きいぶし瓦」を使用しています。
岐阜の方では瓦と言えば、このような耐寒いぶし瓦が普通だということです。
この瓦は、高温で焼成することによって、JS規格の2倍以上の強度を持つものです。また耐久性・低吸水率に優れているものです。
・吸水率 3% ・耐寒 −50° ・強度 250㎏
この瓦も、かなり固い瓦です。細工をするのに、電動カッターで切るのですが、火花があがっています。田島さんに聞くと、普通の替え刃ではないそうで、ダイヤモンドが入った替え刃らしいです。完成までにはまだまだ何枚も替え刃が必要だとのこと。
◯2016年6月22日~28日 屋根工事㊷~㊽
まだ延々とコツコツと瓦を葺いていきます。当然のことながら、谷になっている部分や複雑な箇所は、特に慎重に葺きます。一日に瓦が8枚しか載らない日もあるといいます。
住職:「これは文化財の屋根を葺くレベルですな。」
田島典大氏:「いやいや。文化財ではここまでの仕事はしません。」

細部にわたって丁寧に葺いていきます。雨水が流れる谷は注意します。

庫裏の大屋根から見た山門

◯2016年6月28日
唐破風の玄関造営開始
「唐破風」は「からはふ」と読みます。全国の寺社仏閣などでみられる、大変優美で格式の高い屋根の様式です。例の「ウィキぺディア」によりますと、「唐破風」とは次のようです。

◯2016年6月28日~7月1日
- 唐破風は日本特有の破風形式で、切妻のむくり屋根の先に曲線を連ねた形状の破風板が付けられる。古いものは勾配が緩やかで、新しいものは勾配が急になる。平安時代にはすでに同様のものがあったと考えられており、現存する最古のものと考えられているものでは、石上神宮(奈良県)の摂社である出雲建雄神社の拝殿(鎌倉時代)のものなどがある。神社建築や城郭建築、近世の寺院などで多く見られ、装飾性がある。邸宅や役所の式台や玄関、妓楼の出入り口や屋根装飾としてつけられることもあり、首里城正殿の通称「からふぁーふ」は正面に唐破風が付けられていることから由来している。そのほか、山王祭や祇園祭、くんちなどの神輿、山車の屋形の屋根装飾、石の祠や仏具の厨子、仏壇、墓などにも意匠として用いられる。墓石での意匠の使用例は沖縄の破風墓に顕著な例が見られる。
- 唐破風には向唐破風と軒唐破風の2つの形式がある。
- 向唐破風(むこうからはふ)
- 妻側を正面としたときの呼称である。屋敷や店舗の出入り口として造られることがあり、近現代の日本の建築では、東京の歌舞伎座や松山市の道後温泉などに見られる。古建築では、川越城本丸御殿の玄関、京都本願寺の飛雲閣舟入の間、東京大学本郷キャンパスの通称「赤門」と呼ばれる旧加賀前田家上屋敷御守殿門の番所、城郭建築では、伊予松山城大天守玄関、宇和島城天守玄関などに見られる。また葺き下ろしの屋根の上に千鳥破風のようにして造られ、宇和島城天守と丸亀城天守に現存例がある。出窓として造られたものもあり、城郭建築では松本城大天守、犬山城天守、備中松山城天守、岡山城月見櫓、金沢城の現存櫓や塀などに現存例があり、そのほか熊本城天守群や福井城天守、久保田城本丸御出書院などでの例があった。
唐破風の造営①~④
大きな欅柱や彫刻された虹梁といわれる梁などが、搬入されてきました。いよいよ玄関口の唐破風の屋根が造られます。実はこの屋根の建築は、今回の普請でも特に楽しみにしていた部分なのです。

虹梁。見事に彫刻されています。
建前の時と同様、慎重に部材を組んで立てていきます。

彫刻は、滋賀県東北部の醒ヶ井にある彫刻所で作られたものだそうです。

屋根のきれいな曲線が出ています。

一応造営が完了。次は屋根工事です。
◯2016年7月2日~8日
屋根工事52~58
庫裏本体の大屋根の屋根工事が終了しました。

◯2016年7月7日 大工造作スタート①
本日より庫裏の造作が始まりました。建前が終了した庫裏は、現在柱が林立している状態ですが、本日からは造作工事になります。と言っても大変な木材の量でしょうし、仕事の種類も多岐にわたるでしょうから、いつになったら終わるのか、全く長い道のりになりそうです。
◯2016年7月11日
本日より唐破風屋根の瓦葺きスタート
先ずはその下地作りから。



◯2016年7月14日・15日
雀口左官工事①②
完成した庫裏大屋根の軒の平瓦と軒の野地板との間には、「雀口」と言われる空間が出来ますので、その部分を漆喰で固める作業が入ります。ちょうど雀の口元のような形状のため、そのように言われているのです。

◯2016年7月19日・20日・23日
鈑金工事・雨樋
中津川市の北原さんが来てくれました。

この雨樋は、内側がステンレス製になっており、外側が銅製で昔ながらの美しい風合いが楽しめるものになっています。銅製は時間とともに緑青がふいて美しいものです。また内側のステンレスは錆びにくく長持ちするとのことでした。
◯2016年7月13日~8月4日
唐破風・北側トイレ屋根瓦工事終了 61~70日目

7月30日から2日間は庫裏の北側のトイレの屋根瓦葺きを行ないました。
また唐破風は完成しています。

長い間の瓦葺き作業でしたが、一旦これで田島さんの工事は終了となり、次回は北側玄関付近の屋根工事の建前が終了した後の瓦葺き工事となります。たぶん2017年の春頃になると思われます。
「まあ、出来るだけ早いうちに呼んでください!」と言って岐阜に帰られました。
◯2016年8月4日~6日 鈑金工事①~③
今回は一階・二階部分の窓の庇を鈑金で巻いています。
◯お盆の大変多忙な時期を迎えますし、この間の法要儀式も多いので、しばらくはお休みとなります。
◯2016年8月21日 大工造作工事㉕
ところで大工さんの方は、どうなっているのかというと、もう内部の造作が始まって25日目になります。だいぶ手が入った感じがしますが、なにぶん作業の全体量が莫大なもので一日が終わったところで、どこをやったのか?というように思ってしまいます。しかし何日間かの単位で仕事を見れば、大変頑張って進めていることが分かります。これもいわゆるハウスメーカーが建てる住宅と大きく異なるところでしょう。

◯2016年8月22日~24日
大工造作工事㉖~㉘

◯2016年8月27日
窓アルミサッシ取り付け
窓部分の一部分は木製ではなく、アルミサッシにしています。このサッシの業者もわざわざ岐阜から来ていただいています。まだあと何回かは取り付けに来院される予定です。

◯2016年8月30日~9月3日
大工㉙~㉝及び鈑金工事
◯2016年9月4日~16日
大工㉚~㊷及び左官工事・雀口、壁面の下地作り

◯2016年9月20日~24日
大工㊸~㊼ エレベーター設置工事①~④
今回の建築では、2階部分が庫裏の居住スペースになっているため、エレベーターを設置しています。
少し贅沢なようですが、これから将来足腰が弱ってくることが充分予測されますので、その時に、2階の庫裏で生活が出来ないようようでは、建築の意味がありません。また必要になった時点で、エレベーターをつければよいのでは?という考えもありましたが、後付けの場合は、その工事に莫大な費用がかかる上に、建物の外観が不釣り合いだということもありましたので、今回はこの建築のタイミングに設置することにしました。もちろん重い荷物を2階に揚げるときなども、大活躍の事でしょう。

また大工仕事も少しずつ進行してきました。
◯2016年9月24日~10月1日
大工㊼~53 左官工事⑫
9月26日・27日には本堂の東側にある、内陣及び外陣に入る通用口の高さを広げるために、壁面の一部を解体しました。

以前に本堂裏堂の壁面を解体する時には、おびただしい量のコンクリート石灰が粉塵になって飛散しましたので、今回は十分に養生をしてもらって工事を進めました。以前はその粉塵を掃除する掃除機が目つまりをおこして故障するほどでしたので。今回は学習をしました。
◯2016年10月3日 足場解体作業

◯2016年10月11日~29日
本堂庫裏接合部分建前54~67
本堂部分と新たな庫裏を連結させて、その連結部分の北側に西原家の勝手口を作り、その南側には皆が使用できるような台所を造ろうと考えました。特にこの台所は前坊守や婦人会の皆様が待望にしていた台所です。使用頻度は極めて高いものになるでしょう。

同時に今回の接続部分の目玉は、中庭が出来るということでしょう。多くの檜の柱に囲まれているので、この接続部分は大変明かりが少なくなることが予想されます。
そこで中庭を天井からの吹き抜けにすることによって、光も空気も同時に供給されるということなのです。
◯2016年10月31日~11月17日
大工68~79 鈑金工事・屋根➀~⑦
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北側の瓦屋根工事は、田島典大氏。
南側銅板の鈑金屋根工事は、中津川市の北原氏です。
なぜ同一の建物で、屋根の北側と南側とで屋根の葺き方が異なるのかというと、それは屋根の勾配の関係です。北側の屋根は比較的勾配が取れるために、瓦が葺けるのですが、南側は勾配が緩くて瓦屋根にするのに、勾配がとりにくいということで、銅板の鈑金工事になっているわけです。
◯2016年11月18日~12月6日
本堂裏堂の和室造作80~95


ようやく本堂裏の和室6帖の造作に入りました。この部屋が使用出来るようになると、少し居住のスペースが広がり窮屈な思いが軽減されます。またすべての建築が完成した後も、北側の勝手口に近いために、昼間などはこの部屋にいることが多くなるだろうと予測されます。使い勝手の良い部屋になることでしょう。
◯2016年12月1日~3日 風呂工事
今回の普請では、昔ながらの檜風呂を入れることにしました。
私の幼いころは、檜風呂に慣れ親しんでいたのですが、やはり湯船の手入れが難しく、すぐにカビが生えたりするので大変な様子でした。その後ステンレスの浴槽に替わってしまいましたが、やはり風呂を新調するなら檜風呂と、長年思い続けておりましたので、少し高価でしたがこの風呂にしました。現代の檜風呂の特徴は、天然の檜材に特殊な防カビ加工を施しているようで、経年の使用にも耐えられるということでした。また手入れも特段必要なく、普通の湯船の手入れと同様です。ただし檜の大変良い香りが、加工により消されてしまっているのが残念ではあります。

◯2016年12月7日~9日 左官工事
◯2016年12月7日~16日
大工96~100
和室造作完成
◯2016年12月16日~24日
鈑金雨樋かけ

◯2016年12月16日~20日
和室漆喰完了

また見事に漆喰が塗られて和室がほぼ完成されました。
◯2016年12月17日~30日
大工101~108
この間に和室の建具も搬入。また12月26日には畳が搬入されてきました。またカーテンもつけてくださいました。いよいよ部屋として生活できるレベルになりました。

ガスストーブや電灯も設置され、さらに部屋らしくなってきました。

本年の仕事はここまでです。来年(平成29年)は1月9日位から現場の仕事はスタートと聞いております。
工事関係者の皆様、本年は大変お世話になりました。

◯2017年1月9日より
岐阜の工房では1月6日からスタートしているのですが、現場仕事は本日9日からが開始となります。
新年初仕事は、本堂と庫裏の接続部分の台所の床張りになります。
通常のフローリング材の4倍程の厚みがあるヒノキ材の床にしています。またその根太の部分も、大きな用材をかなり密にひいてあります。大工さんの手間が大変です。
このあたりの仕事は、松藤悠太氏が一人で行なっています。早朝から日没後も、長時間コツコツとまるで修行のような生活をされています。

薬師寺宮大工棟梁の西岡常一氏の著書などを読んでいますと、随所にヒノキの強度の話しが出てきます。
学者は鉄が強いと言うようだが、法隆寺や薬師寺東塔が1300年保っている現実をどう思っているのか?とあります。(『木に学べ』法隆寺・薬師寺の美 小学館刊)
西岡氏は法輪寺の普請の時に建築学者と大論争をしたらしい。学者は鉄骨を入れないと建物はもたないというが、例えば五寸釘の頭など10年余りでなくなってしまうというのです。現場の大工だからこそ言えることなのでしょう。
最近は従来の木造建築技法を見直そうという雰囲気があるということです。ところがそのヒノキの強度を学問にしようとすると、恐ろしく大変なことになるようです。山によって木の性質が違うし、環境によってもヒノキの癖がちがうのです。また同じ吉野のヒノキでも、北に向いた山と和歌山県側の山では違いがある。範疇が広範囲で学問の俎上には上りにくい。ところが現場の大工はそんなことをよくよく知っているということです。西岡氏はカンピューターと言ってますが・・・。 とすると、現代の建築基準はどれほど信頼できるものなのか?あの阪神淡路大震災では、大方の家屋が倒壊していったではないでしょうか。
素人の私がとやかく言う問題ではありませんが、昨今は鉄骨が最高の建築用材と考えられているならば、一考の必要性があると思います。
また柱の厚みも、脆弱な気がしてなりません。この柱でこの家を支えられないだろうと危ぶまれる建築現場が多いように思うのです。
〇2017年1月9日~1月19日
大工109~117 一階台所床張り・キッチンセット搬入

〇2017年1月20日~28日
大工118~125 1階台所設備。冷蔵庫・エアコンなど設置
1階台所は本堂で法事や葬儀があったときに、利用者の皆さんがお茶の接待や食事の準備などで使っていただけるように、外部の白洲からも本堂内からも同時に使えるように考えています。
特にリクシル製の流し台は、幅広にしてあり2人が同時に湯飲みを洗えるように、蛇口も2本付けておきました。効率よく準備や後片付けが出来ると思います。
1月の25日には以下の写真のように、庫裏玄関の向かって右側に「花頭窓」を配置しました。
こちらの側の内部室内は、寺院の事務所ですので、そのために特に窓を「花頭窓」にしたわけです。


〇2017年2月6日~2月11日
大工126~131
〇2107年2月13日~3月3日
大工132~143
庫裏北玄関周辺、本堂と庫裏の間の通路
この部分は日数の割には、仕事が進まない部分で、いわゆるリホームの部分が大半。
〇2017年3月4日~7日
左官工事①~④ 北側外壁面下塗り完成
〇2017年3月15日~19日
左官工事⑤~⑩ 壁面仕上げ
〇2017年3月15日~18日
大工145~148
ようやくこれで北玄関に建具も入り、扉も付きました。これで北玄関からとりあえずは出入りができるようになりました。
〇2017年3月28日~29日
大工149~150
北玄関収納箱・本堂と庫裏の接合部分の扉付け

〇2017年3月30日~4月14日
大工151~163
庫裏2階台所および食糧備蓄庫工事

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キッチンセット搬入・組み立て

複雑な2階の構造・木組み
「食料備蓄庫」は庫裏の2階の天井裏に設置してあります。万が一の災害時にも、とりあえずは二週間分くらいの食料や水や毛布類の備蓄を行うもので、最近の災害に備えてのリスクマネージメントに相当します。
〇2017年4月14日~17日
左官工事(2階部分)
〇2017年4月15日~5月11日
大工164~186 2階造作
この間は原則として、大工の田中啓介氏と松藤悠太氏の2人で、2階の内部壁面の造作工事に従事してくれました。かなりのロングランでした。
〇2017年5月9日
北側筋塀基礎スタート①

北側の擁壁は、当初の計画では自家用車の駐車場にする予定でした。 しかし近年この道路は大変交通量が増え、1分間で2~3台の車が往来する市道になっています。
また道路幅も狭く、対向するのにも不慣れな運転手だと、すぐに渋滞が起こってしまいます。
そこで今回はこの場所に駐車場を造ることを断念し、西側から一直線に延びる筋塀にすることにしました。事実この工事が完成して間もなく、東側の隅のコンクリートを打った部分に早くも車の接燭した跡が見られましたので、自家用車の駐車場にしなくて正解かなと、安堵しています。
〇2017年5月10日~15日
北側筋塀基礎コンクリート打ち・枠付け ②~⑤


〇2017年5月17日~6月11日
大工工事187~211
この時期は大きな構造的な造作は終了していますので、各部屋の壁面の板をはったり、床上げをしたり、2階上部の備蓄庫の造作などに多忙なようでした。
〇2017年6月12日~6月23日
大工階段造作工事 212~222


〇2017年6月13日~6月14日
東側擁壁基礎造り

境内地東側の境界線は、東大阪市土木課との立ち合いにより、現状の南側から延びる塀をそのまま直線状に伸線した位置ということで、決定しています。境界は大いにもめることですので、慎重に基礎を打っていただきました。
〇2017年6月24日~6月30日
大工223~229
寺務所周辺工事
〇2017年7月5日 大工仕事230 玄関の唐破風に格天井がつきました


〇2017年7月6日~7月27日
北側筋塀ブロック積み
この北側の擁壁は当初は、ブロックを積むのではなく土塀にしたいと考えておりましたが、 予算と工期の都合上、このようにブロック積みになりました。

〇2017年7月6日~8月4日
大工仕事231~253
いよいよ大工仕事の最終段階に入ってきました。庫裏本体の一階トイレや仏間の作業になります。
また藤元一美氏の建具も搬入されてきました。
〇2017年8月7日~13日 左官工事
〇2017年8月18日~21日 北側筋塀瓦葺き

瓦葺きは田島典大氏です。
〇2017年8月22日
本日で北側筋塀・東側擁壁の瓦工事終了
〇2017年8月24日~9月5日
大工仕事254~263
二階寝室の造り付けの本棚作成・北玄関の雨戸下地造り



〇2017年9月7日~13日
左官工事・庫裏内部下塗り
大工仕事が一段落していますので、残すは内部の漆喰壁の製作になります。
〇2017年9月26日
内装業者・カーテンの取り付け(二階部分のみ)
〇2017年9月26日~10月3日
左官工事・仕上げ
〇2017年10月7日~8日 引越し
建築期間中、中石切町に仮住まいをしておりましたが、この家から大工さん4名さんにお手伝いいただいて、荷物の引越しをいたしました。この家はご門徒の方が、昔お住まいになっていた家ですが、現在は空き家になっていたもので、月参りの時に「荷物がたくさん収納できる家」がないか、探しているというお話をすると、「ちょうどウチに今住んでいない家があるから・・・」と見せていただいたのがご縁でした。3階建で収納スペースも多く大変気に入っていました。
〇2017年10月10日~10月22日 左官工事
本玄関土間の洗い出し。北側筋塀の内側。
〇2017年10月18日~23日
北側駐輪場カーポート設置

〇2017年11月13日~11月19日 左官工事。北側筋塀

〇2017年12月5日~2017年12月17日
左官工事。漆喰塗り始め


〇2017年12月29日 左官工事。年内終了。
西側の半分だけ完成しました。


〇2018年1月13日~16日
左官工事。
〇2018年1月29日~2月13日
左官工事終了。
最後に筋塀の筋を三本入れて終了です。
筋塀の筋の本数は決まりがあります。近年ではご住職さまでもご存じない方がおられるようです。
本山・門跡寺院は5本。別院・御坊は4本。一般寺院は3本もしくは無地。
また筋の太さは塀の高さや長さによって異なりなすが、あまり太くしないほうが上品でしょう。

〇2018年3月6日
離れ書院南側フェンス設置
この離れと墓地を区切る大切な擁壁フェンスは、浄向寺門徒で(株)伸明代表取締役社長・久保登嗣氏の篤志によるものです。先般本堂で祖母門田サダ殿の法事をお勤めされた際に、この建築の様子をご覧になり、住職が何気なしに「お墓と書院を区切る境界が必要なのです」とお話し申しあげたところ、「わかりました。私がさせていただきます。」と仰ってくださったことによるものです。大変尊く有難かったです。


〇2017年3月14日~19日
親鸞聖人像ご安置工事
3月14日 設置場所地均し。

3月17日 基礎造り。

3月18~19日 据え付け。


また同時に今まで北東の角にあった浄向寺の石碑を、南東の角に移転しました。

〇2018年4月9日
境内白洲整備工事①整地・整石

〇2018年4月10日・11日
白洲整備②③ 防草シート

〇2018年4月12日
白洲整備④ 砂利を撒きました。

〇2018年4月12日午後2時 親鸞聖人像入仏法要勤修(婦人部)
長い年月の間、親鸞聖人像が石材店の倉庫で安置されてありましたが、この度ようやくその疎開先より浄向寺にお戻りになられました。そこでちょうど婦人部の定例会にも当っておりましたので、婦人部の皆様とともにご帰還をお祝いしたことです。

住職が「三奉請」「表白」に続いて、『正信偈』さまを調声。


みんなでお勤めをしました。
読経後、住職が親鸞聖人について法話。
〇2018年4月21日
山本工業(白洲の整備)細部のセメント打ち。本堂東側「いぬばしり」のセメント。
〇2018年4月24日 浄向寺庫裏全体像


優美な唐破風の本玄関


北側より見た庫裏

庫裏の小屋根はエレベーターホール

本堂(左側)と太子堂