聖徳太子像調製(仏師の仕事)

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 住職の長年の希望でもありました「聖徳太子像」がようやく制作段階に入りました。
制作していただくのは、浄向寺の古くからのご門徒で、近年特にめざましくご活躍中の仏師さんで、「南都仏師」・「春日有職檜物師預」の称号をお持ちの、矢野公祥師(奈良県生駒市)です。
 
 矢野師は、ご自分の工房(生駒市中菜畑)での仏像教室や朝日カルチャーでのご指導などをはじめとする様々な指導者としての立場と並行して、毎年4月上旬から下旬頃に、生駒市芸術会館「美楽来」での「仏像彫刻美術展」を開催。また11月に京都で開催される日本最大級の仏像展などへの出品などで多忙な毎日を過ごされています。さらに春日大社や鹿島神宮・往馬大社などからの仕事の依頼もあるので、今大変多忙な仏師のお一人と言ってもよいでしょう。
 そのような中、今般所属寺の住職の希望ということもあって、ようやく彫像のお約束をいただきました。

 以下はその「聖徳太子像」の制作過程を、矢野師のご承認を得て連載するものであります。
 なお太子像は、住職の一建立で、西原家の内仏になります。
◯2015年6月15日
   
 生駒市菜畑にある矢野師の工房で撮影。
 ようやく彫り始めたところです。
◯2015年7月16日    
 太子尊形の意味
 太子のお顔が現れてきました。私が調べたところでは、太子の尊形には二説あるようです。
 1、この童形の太子像は、太子16歳の時に、父上の用明天皇が大病になられたときに、柄香炉を持ってお見舞いに行くときの姿であると言われています。その為にお顔は眉間に少し皺を寄せておられる、いわゆる心配そうなお顔にお造りするのだということです。
 2、もう一説にはこの太子像は、物部の守屋誅伐のお姿であるというものです。
 太子は「和国の教主」と呼んでお敬い申しておりますが、我国に仏教を受け入れて下さった、日本の釈尊のような方であるということです。
 浄土真宗の寺院の内陣余間では、太子絵像が奉懸されておりますが、その賛銘の文には「吾利生の為に、彼の衝山を出でて、此の日域に入り、守屋の邪見を降伏し、終に仏法の威徳を顕す」と記されています。そこで太子像は、守屋討伐の時のお姿であると考えることが出来ましょう。

    
 以上のような理由で、すこし眉間に皺を寄せておられるお姿です。
◯2015年8月10日


◯2015年10月16日      
 台座がついて礼拝すべき尊形らしくなってきました。
  
◯2016年1月16日
     
かなり仕事が進んできております。今回は全体に漆の下地を施しております。
また写真右のように、背割りをした中に、願文(施主名)と作成者(仏師)の署名をするようになっております。
更に「阿弥陀如来」の体内仏も奉安しておきたいと考えております。
◯2016年2月16日

 見事に漆で彩色されてきました。
また目は玉眼を入れていただいております
◯2016年3月16日 
 
◯2016年4月16日
 かなり大型の太子像です。御身丈は3尺で、この高さは脚から眉間までの高さですので、実際は1メートル近くになります。また台座をいれると125cmほどの高さになります。
◯2016年4月18日
願文記入・願文奉安    
 太子の体内に安置する「願文」を記入。
 
さっそく仏師の矢野師工房に持参しました。
 内陣懸安の理由は。
浄土真宗で聖徳太子を内陣に奉安する理由は、二つあると考えています。
1つには、「和国の教主」であるから。これは聖人の『皇太子聖徳奉讃』(『真宗聖教全書』第2巻526・527頁)に「和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし 一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ」などとお示しになっている通りです。
2つには、ご開山親鸞聖人は聖徳太子のことを、「多多のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ」と呼ばれ、聖徳太子のことを、父のよう、母のようであると、お慕いになっておられたから、真宗では内陣に聖徳太子像を安置するのだと言えましょう。

◯2016年4月30日   
第22回仏像彫刻美術展
に行きました
         
 矢野師が主催する「仏像彫刻美術展」(生駒市芸術会館「美楽来」)に本日観覧に行ってきました。
入口正面に聖徳太子像が展示されておりました。
    
〈仏師の矢野公祥師(右)と記念撮影〉 
後ろに太子像。
 今回の矢野師の作品で目を引くのは、春日大社の古材を使用して様々な独創性のある彫刻をされていることです。
例えば  
 左のような「狛犬」です。
    
また古材を使った、風鎮形の香盒。
さらにこんなものもあります。
      
古材を掘り出した、鎗の穂先。わざわざ錆がついているように技巧を施してあります。
これらはやがて春日大社の焼印が押され、貴重な品物になるのですが、まことにその先に拝観させていただけました。すばらしい技術と発想力です。
◯2016年5月16日  
太子像の背中部分に年月日など記入。体内仏奉安。

     体内仏を安置
 本日矢野公祥師の工房にうかがい、太子像の背面より体内仏を入れました。
 また背面の謂わば蓋のようになっている部分の内側には、年月日と施主名を墨書したしました。
〇2018年3月29日  
第45回創彩展にて、創彩大賞を受賞しました

 前回の5月16日より以降、約2年間は主に太子像の各部の漆塗り作業に従事されていたようです。
仏師さんいわく「この色彩と思って漆を塗っても、乾いた時にはイメージと異なる色調に出来上がる。 気に入らないので再度塗布したりということの連続です」と。
 また漆は塗る時期にもよるようです。湿度の高い梅雨時分が漆にとっては最適な時期ということです。
 その時期によって同じように漆を塗っても異なる色が出てきたりするので、非常に難しいそうです。
 しかし漆の利点は、世界一の強度ということで、一旦固まった漆は大変強度に優れているそうです。
 我々の常識では漆の茶碗や机などでも、特に腫れ物に触るように慎重に扱ったりしますが、実は頑丈な品物のようです。しかも本物の漆であれば、何度でも修理がきくとのことです。
固定観念とずいぶん違うようですね。
 この聖徳太子孝養像は、天王寺の大阪市立美術館で開催されました「第45回創彩展」で創彩大賞を受賞いたしました。
 
 完成はこの作業が完成して、住職がこのお像を安置する荘厳の段取りが出来た時点で、入仏慶讃という運びになるでしょう。
 少なくとも仏天蓋と前卓などは必要かなと考えています。